『Harper’s BAZAAR Taiwan』12月号 掲載のお知らせ
更新日:2025 - 12 - 23
この度、Harper’s BAZAAR Taiwan 2025年12月号の特集「餐桌上的未來!2026年餐飲趨勢(The Evolution of Fine Dining)」にて、maison owlをご紹介いただきました。
本特集では、「Fine Dining Isn’t Dead(ファインダイニングは死なない)」を主題に、世界的にレストラン業界が変革を迎える中、伝統的なミシュラン型Fine Diningから、「体験」「物語」「持続性」を重視した新潮流への転換を分析しています。
「在無景之地創造風景(無景の地で風景を創造する)」という見出しのもと、宇部という土地で、建築家石上純也さんとともに9年の歳月をかけて創り上げた空間と、そこで生まれる体験についてお話しさせていただきました。
The French Laundry(米国)、Osteria Francescana(イタリア)という、いずれもミシュラン三つ星を保持し、World’s 50 Best Restaurantsで第1位を複数回獲得後殿堂入りを果たした世界的名店と並んで、maison owlをご紹介いただいたことは、身に余る光栄です。
これもひとえに、maison owlを訪れてくださる皆様、そしてこの場所を共に創ってくださった全ての方々のおかげです。これからも、この場所でしか味わえない唯一無二の時間をお届けできるよう、日々精進して参ります。
今後とも、maison owlをどうぞよろしくお願いいたします。
maison owl オーナー 平田基憲

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記事全文(日本語訳)
在無景之地創造風景(無景の地で風景を創造する)
洞窟の誕生
風が瀬戸内海から吹いてこの街へと届き、塩分を運び、港に金属の香りを残していく。宇部には名湯も名山もなく、四方に知れ渡る風景もない。車窓の外には平凡な日常だけが広がる──灰白色の工業地帯、不揃いな住宅街の建物。ロマンチックとは言えない現実、生活の混沌とした光景。
「宇部には際立った観光資源がなく、多くの人にとってはそれが欠点かもしれません。しかし観光資源があると、どうしてもその資源を中心としたものづくりになってしまいます。真にクリエイティブなものは、ゼロから生まれるべきものです。」maison owl 主廚(シェフ)平田基憲にとって、日常の混沌は欠陥ではなく、むしろ祝福なのだ。観光都市は風景に飲み込まれ、文化都市は模倣の慣性に陥りやすい。無景の地だけが、新しい形を受け入れる余地を持つ。宇部の荒野は荒涼としているのではなく、稀有な自由なのだ。
建築家・石上純也と協力し、住宅街に洞窟を掘る──それは形を誇示するためではなく、時間を留めるためだった。「『何を創造すべきか』が難しくなったこの時代に、私は残されるべき永遠のものを造りたかったのです。」軽やかで透明感のあるスタイルで知られる石上に対し、平田は「重厚で原始的な」デザインを依頼した。最終的に石上は施工方法の探求に立ち返り、洞窟を掘ることを決めた。
洞窟は最も原始的な居住形態であり、庇護であると同時に孤独でもある。人類が初めて火を起こし、初めて調理し、初めて暗闇の中で互いの輪郭を見た──おそらくすべて洞窟の中で起こったことだろう。洞窟が現代建築に再現されると、それはかえって一種の抵抗となる。都市の軽薄さと消費の速度に抵抗し、また写真を撮れば理解したと思い込む美学にも抵抗する。
世界が軽量化を急ぐ中、彼らは「重さ」を再び作り出すことを選んだ。料理の香りはもはや放たれず、包み込まれる──空気中の温度、食器の冷たさ、壁の湿度とともに。料理と建築はここで論理を交換し、まるで建築が食べられ、料理が住めるかのようだ。咀嚼するたびに、より古い言語へと回帰していく。それは革新を追求する時間軸から飛び出すのではなく、継続する時間感覚を創造するのだ。
料理は帰郷の言語
料理学校にも通わず独学の平田は、20歳の時に自分の嗅覚の鋭敏さに気づき、ワインへの愛から、迷わずフランス料理の世界へと進んだ。「フランス料理の世界に吸い込まれるように進んだのは、生まれる前の記憶、DNAに刻まれた記憶があるからだと信じています。」ワインとの出会い、ワインとの調和を愛してフランス料理をしている。
料理界がエル・ブリ以降ますますイノベーティブになる中、彼は逆に原始的な料理へと回帰していく感覚があった。「maison owlをやる際に、『フレンチをやめよう』と思いました。何料理でもない、別荘に来たゲストを自分が食べたいものでもてなすという料理です。」
シェフにもいろいろなタイプがいるが、平田は自分自身をシェフというより、総合演出家だと考えている。人が喜ぶ顔が見たい──それが彼のモチベーションだ。
彼が愛するのは技術だけでなく、フランス人の食事に対する理解だった。時間の推移とともに、彼はどんなにフランス料理を研究しても、フランス人本人を超えることはできないと気づいた。フランスへの憧憬から脱却し、平田は自分らしい料理を探し始めた。「世界の料理界がエル・ブリ以降ますます革新を追求する中、私は逆に原始的な料理へと還っていく感覚がありました。maison owlを開く際、『フレンチをやめよう』と決めました。何料理でもない、自分の別荘に来たゲストを、自分が食べたいものでもてなすという料理に変えました。」
それは革新に対する別の理解であり、誰と食事をするか、どこで食事をするか、どのように時間を共に過ごすかという原点への回帰だった。
地方創生との距離
多くの帰郷シェフとは異なり、平田は山口の魚や宇部の野菜を地方アイデンティティの証明にはしなかった。「食材の選び方一つをとっても、その人の生き方や哲学が見えてきます。」彼は地産地消というラベルにこだわらず、地元の優良食材を使うのは、それが優れていて、人と人とのつながりがあるからだ。地元だからという理由ではない。「真の地産地消は存在しません。日本に最も必要なのは政治的スローガンとしての『地産地消』ではなく、逆に地方の良いものを外へ出していくことです。文化はそもそも交流し合って成立するものであり、交流があってこそ社会も平和になります。自分の街だけで成り立たせることはできません。」
maison owlは地方のために存在するのではない。平田の帰郷には、ロマンチックな郷愁もなければ、救世の使命もない。あるのは自分の専門に対する誠実さだけだ。「私には故郷に貢献するという強い使命感はありません。ただ個性を失わず、地に足をつけて創作を続けたいだけです。」彼は信じている──工業もまた人類の創造活動の一形態である以上、工業都市も単なる労働の場所であってはならない。どんな都市にも多様性が必要であり、独特なレストランは、都市に彩りを添えることができる。真に地方を輝かせるものは、マスコットでもB級グルメでもなく、時間と深度を蓄えた創作なのだ。
かつて石炭産業で栄え、その後重化学工業を中核とした都市が、今は一つの洞窟によって再定義されようとしている。maison owlはまるで地底からの発光のように、日常と非日常が交錯し、時間が食卓の上を流れ、人々はここで大切な人と共に食事をし、感じ、時を過ごし、土地のゆっくりとした鼓動を感じるのだ。
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